I made this account to share “Sashiko Stories” that are not introduced in English well. So, I write in more contexts in English than in Japanese. However, it doesn’t mean that I have less words for/in Japanese to share. The comments here from Japanese stitchers (or in Japanese) are so precious to me as it “balances” what I say & what I do. As I am only one who write posts here in English, yet I do not want to share only my personal stories – or worse, a type of propaganda. I can be confident in “sharing/teaching” Sashiko as I have quite many Japanese People who want to learn Sashiko from me. After they learn Sashiko, they provide me with their own Sashiko Stories with their own experience. I ask them to notify me if I start saying something “strange”. I am not alone in this. I am compiling “Sashiko Stories” by alive, on-going, Japanese Sashiko Artisans. It is going from a Sashiko Story to a series of Sashiko Stories. (Photo by student)
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日本で皆様から頂くコメントは、自分の立ち位置と伝えたいことの本質を推敲できる、とても有難い機会です。毎回勉強になります。なぜ「不揃い(の針目)を喜べ(Embrace Imperfectionin Sashiko)」が嫌なのか、数年論理を求めていたのですが、昨日やっと理由がわかった気がします。なので、この投稿は少し長くなります(笑)
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英語での刺し子の投稿を見ていると、「不揃いの針目だけど喜んでいる」という言葉を頻繁にみます。日本語での刺し子の投稿はあまり見ていないのですが、もしかしたら「不揃いの(今の私の)針目を愛でる」というような書き方をしている日本語の投稿も多々あるのかもしれません。刺し子の先生&諸先輩方とは少し思いが違うかもしれませんが、私は個人的には「針目は揃ってなくて良いんじゃねーの?個性じゃね?」と思っています。だから、上記の英語での「不揃いを喜べ」が嫌な自分と矛盾するのです。針目はその人の姿を反映するものでもある為、ご自身の針目を好きになるのはとても大切です。(針目を揃えたいのであれば)練習も努力もして欲しいですが、針目が揃わないからと言って刺し子が嫌になってしまうのは本末転倒です。だから、刺し子を楽しんでいる方々が不揃いを愛でることそのものは、全く嫌じゃないし、むしろ昔の自分を思い出すようで嬉しかったりします。では、何が嫌なのか。
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それは教える側が「不揃いを喜べ」と教えていることです。「揃ってなくて良いよ」ならまだ分かる。教える側も未熟な期間はあるから。でも、今の流行は「不揃いをEmbraceして」なのです。(ここでEmbraceは「愛情を持って抱き締める」という動詞だとご理解下さい)。この流行の根本に不明な点があったのですが、漸く合点がいきました。この場合の「不揃い」が、日本でいう「侘び寂び」の美しさと強引に結び付けられてしまっているのです。侘び寂びにおける不完全の美は存在します。日本人なら当たり前に分かるのですが、「侘び寂び→諸行無常→不完全の美→(一足飛びで)針目は揃わなくていい」は、変です。技術的に未熟なことと不完全の美を同義で語ることも変ですが、もっとヤバいのは、その「不揃いの針目が不完全の美となる針仕事」こそが刺し子だというような伝え方になっている点です。針目が揃っていることが暗黙の誇りだった職人さんや、家庭の中で針を持つことを楽しみにしていた人達の喜び、んでもってここまで刺し子を復興させ守り続けてきた諸先輩方の功績まで根こそぎ踏み躙ってしまう文化の伝え方だと、漸く、気がついたのです。言葉の一人歩きの弊害です。
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続きは配信で。英語での投稿が長い為、90%以上の方が日本語圏外からのフォロワーさんです。ただ、やっぱり刺し子の本質は日本にあり、日本の方からのコメントは教えられることが沢山です。是非、今後も沢山コメント頂けると嬉しいです!
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2023-09-21 08:16:11
私は刺し子を以前ちょっとやったことがあるくらいの恥ずかしいレベルなのですが、淳さんの刺し子ストーリーに惹かれてYouTubeやインスタをフォローさせていただいています。刺し子をやってないのになぜと思われるかと思いますが、私のやっている陶芸にも全く共通点があるからなのです。例えば、ぐちゃぐちゃのものを作ってる人に、わーそれ不完全の美ですわ、それが侘び寂びですわ、みたいな“褒め言葉”をかける人がアメリカになんと多いことか。言葉の意味も理解されず、それどころかその言葉が下手の言い訳みたいになっていて、それでいい、それがいいみたいな風潮になっているんです。そんなぐちゃぐちゃなものを侘び寂び陶芸とか言って恐ろしいことに堂々と売り出していくんです。そしてこれを買う人がいるんです。もうここで作者は成長が止まるわけです。あれでお金がもらえるっていうことになるから。勘違いとお金は怖い。アメリカ人に侘び寂びをわかってもらうことほど大変なことはないと思います。長々とすみませんでした。🙏
私もそう言う人にならないように気をつけようと思いました。何故なら私も針目を気にしないで刺してみてと言うからです、それを相手方の解釈として上記の様に思われてないかちょっと恐ろしくなりました。ただ私は日本の方にしかお伝えしていないので、きっとニュアンスは伝わっているだろう、【だろう】思っているけど、SNSなどではいろんな方が観ますし、私も針目が歪んだってこれが味だよねって思ってる1人なのでその部分の説明ってかなり難しいと思っています。だからと言ってぐちゃぐちゃに刺したものがワビサビならみんなワビサビですからね😂
Thank you for sharing the Sashiko story and it’s life and purpose. Having a true Japanese artisan give perspective to a technique I have admired for years is amazing to find. Social media has its uses and this is certainly one of them. I would have never been able to come 😮across your story without this platform.
運針会に参加したときに、淳さんに針目診断をしてもらったのを思いだします。それまでは、針目に「上手(揃っている)」と「上手ではない(揃っていない)」のカテゴリしか持ち合わせていなかった私。もちろん私は刺し子初心者で自分の針目が好きではなかったので運針会に参加したのですが、、、淳さんの診断を受けて、こんな私の未熟な針目にもキャラクターを授けて貰えた!って嬉しかったんですよね〜。その時から、今の自分の刺し子(針目)を受け入れられるようになりました。いや、受け入れてあげようと肯定的な姿勢をとる努力をするようになりました。もちろん先輩方の揃った針目を見て、近づきたいという気持ちはあって運針するわけですが、それでも自分の作品はその理想とは程遠くて、今の自分の立ち位置を理解できるというか。それを認めようっていう考えられるようになったんです。なので本当に運針会には感謝しております🙇♀️
😍😍😍😍
Thank you for sharing.
Both Atsushi and Nana-san are my role model.
But II love my stitches, and then I hope one day my stitches will be better.
🙏🏼🪷🪡🧵
I think this is my second favorite pattern. My favorite is straight stitching