I say the essence of Sashiko deep down there is “Praying – Inori”. Many Sashiko Stories I have received make sense when I consider Sashiko as a practice in/with/for “Praying”. Well, then I started wondering what the Japanese had prayed for… happiness? Well-being? Or Wealth? One idea I came up with is “connecting”.
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We know that we live on a long continuous line. The line is a series of connected dots. We may be a dot, and we care for dots. We pray for dots to be connected. In Japanese Animism, respecting the spirits over the generations was so natural and also very important. I liked my saying in the previous posts: “I would like to protect an upstream”. The continuous line cannot exist without dots, and I am here to share where an upstream line is so that we can connect it to the next generation. After all, isn’t Boro an outcome of this “praying” and “connecting”?
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最近、日本の刺し子好き(手芸好き)な方とお話をする機会が増えてきています。日本に向けて伝えたい思いも沢山あるのですが、優先順位を考えてしまい、いつの間にかこのアカウントの大半も英語になってしまっています。でも、本音としては日本の方と日本語で沢山語り合いたいのです。楽しいし、何より「刺し子物語」の始まりは、日本の皆様との会話から生まれていますし。
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「刺し子の本質は祈りだ」と配信でお伝えしています。同様の文章を書いていて、ふと「では私たちは何に対して祈っているのだろう?」と疑問になった訳です。それこそ正着なんぞない疑問なのですが、刺し子をしていた昔の日本人と、刺し子を楽しんでいる今の日本人の共通のものはないかと思いを巡らせてみたのです。ふと思いついた言葉が「繋がり(営み)への祈り」でした。彼岸を当たり前に信じ、ご先祖様に手を合わすことが日常になっている日本人に取って、祈りとは繋ぐことなのではないかと。そして、刺し子という針仕事はその繋がりを重ねることではないか…と私なりの着地点を見つけました。また配信でも話しますね。
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幸せを願う先には誰かがいます。自分自身の幸せだけを願う人もいるかもしれませんが、案外そういう人は祈りはしません。自己中心的な人は針すら持てなくなるというのが個人的な感覚です。覚悟を決めて刺し子と向き合うようになり、点が線となる繋がりを感じています。配信も、こういった投稿も、(最近更新してないですが)長文のブログも…刺し子を楽しむ方々の背中を支えるような(時には丸投げとして押すようなw)存在になれたら良いなと思っているのです。
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写真は現在進行形の襤褸っぽいものです。1枚目が表。2枚目が裏として作っています。
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2022-09-09 08:53:15
🙏❤🙏
That is an interesting way of thinking about it.
❤️❤️❤️