A Zen story I remember all of sudden. A philosopher visited a Zen-master to learn the Zen-practice. The master welcomed him and served a cup of tea. The master kept pouring the tea although the cup was full. The tea kept overflowing. The philosopher asked the master to stop pouring saying “the cup is already full. The overflowing tea will be just a waste”. Then, the Zen master smiled at him back. ☆
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どこで聞いたか、禅のお話をふと思い出しまして。
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ある高名な哲学の先生が、ある禅僧に「禅の心得」を学びに訪れました。禅僧は丁寧におもてなしをし、お茶を振舞われるのですが、湯呑にお茶が波々と一杯になっても、注ぐのを止めません。もちろんお茶は溢れてしまいます。それを見た先生が、「禅僧様。湯呑はもう一杯です。これ以上お茶を注がれても、無駄になってしまいます」と一言。それを聞いた禅僧は、微笑み返しました。(終)
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この物語から学べること。「既に一杯の湯呑にお茶を注いでも無駄だ」ということ。つまりは、「まずは湯呑を(頭を)空っぽにしてからでないと、お茶(新しい知識)は注げない(入らない)」という事なんだろうと思います。まぁ禅らしいなぁと思うわけですが、個人的には禅僧が一言も発していないというところが好きなところです。なんでこの話を思い出したんだろう。あぁそうか。刺し子を求めてくる人も、こういう人が多いからだろうなと。グアバジュースがコップ一杯入っているのに、そこにお茶入れようとしたら、そりゃ混乱しますよ。グアバジュースを「お茶」って呼んだら、そりゃ違和感ありありですよ。とてつもなく極端なたとえ話ですが。
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刺し子。誰でも先生になれます。だって絶対的な正解はないから。ただ、グアバジュースをお茶って呼んでほしくないんです。だって、グアバジュースはグアバジュースで僕は大好きだから。変えてほしくない。お茶が欲しいなら、グアバジュースは一度飲み干して、それからお茶を楽しんで(飲み干して)、またグアバジュースを日課にしてほしいな……と。なんだかグアバジュースと言いたいだけの投稿になりました(笑)なんでグアバジュースなんだ……(哲学は続く)。
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2019-07-24 18:21:43
例えは味噌汁じゃないんですねぇ🤣
これ解りやすいですね!
なるほど読み入ってしまいました。🙌
なるほど❣️😊納得できます👍
何かを学ぶとき、大切なことですね。
Good luck on your next adventure, will you still be blogging? Or did I miss the answer to that question?
グアバジュース😆 飲んだことないですが、飲んでみたくなりました。
このお話で思い出したんですが、最近アメリカの白人さんでお母様が自称日本通だという方でちょうど今京都に旅行中の方からDMをいただき、何かの拍子に「this is so zen」とおっしゃって、ちょっと引きました。どれだけ分かってて禅という言葉を形容詞化してるのかしらと思って。これも流行り表現ですよね。日本人もやるけど、残念ながら。だから違和感感じますと返事したら、平謝りしてたけど。最近日本語でも英語でも表現する言葉をとても気にするようになりました。私もこの禅僧様が何も言わないところが気持ちのいいとこに感じて、zenだよねーっていう外人さんにどんな風に理解されているのか(いないのか)気になりました。すんません、余談で。